「ブラタモ」気分で御座替祭をウオッチしてみる!

御座替祭って?

4月1日は筑波山神社の御座替祭(おざがわりさい)。
春は4月1日、秋は11月1日に執り行われるこの祭は、筑波山神社でもっとも大切な祭礼だ。

御座替という祭名について、いくつかの説がある。
ひとつは、御座替わりという祭の名前にちなんだもの。子を大切に思う筑波山の神様が、子どもの神様を冬の寒いときは温かい山麓へ、夏の暑いときは涼しい山頂に座を譲るからというものだ。これは地元に語り伝えられている。
もうひとつは、民俗学な見地から稲など農村儀礼との関係から説明する。たとえば春は予祝儀礼として、山の神を里に下ろす。また、秋は新嘗祭(にいなめさい)との関連で収穫の感謝を捧げると考える。
筑波山目的別ガイド』P45より
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ことし平成29(2017)年の御座替祭は土曜日。
この祭は、観光目的でなく筑波山の神々を祀る祭礼のためなので、
祭の挙行日を参拝しやすいようにと土日にずらすことはしない。
あくまでも神さまの時間で執り行うということは、
まぁ当たり前といえば当たり前だけど、たまたまことしは土曜日なので、
見たくても見られなかったというひとには好機会だ。

#ブラタモリ っぽく楽しんでみるには?

せっかくなので、御座替祭を見ながら、
ブラタモリ」みたいなブラタモ気分で「えっ! こんなところにこんなもんが!!」と
地形や岩石もいっしょに楽しめるよう、少し細々とした予備知識をご紹介。

①江戸の道、つくば道を知る!がポイント

御座替祭は、通常は山麓の「一の鳥居」、地元の方が呼ぶ「六丁目の鳥居」から
t筑波山神社拝殿までのつくば道の神輿渡御を見るのが一般的だ。
神社のある標高300mあたりを筑波1丁目とし
そこから下にかけてを6つの町に6等分していて、
筑波六丁目にある鳥居という意味で、六丁目の鳥居と地元の方は呼ぶ。
1丁(町)は約100mなので、6丁目は神社から約600m。
おおよその距離間が分かる昔の番地って便利。
そして、江戸時代はこの鳥居から奥が筑波山の境内地となる、
その最初の鳥居という意味の正式名が「一の鳥居」。

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一の鳥居、俗に六丁目の鳥居

つくば道は江戸時代初期、3代将軍・徳川家光のころに開かれた新しい道。

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つくば道、実は県道ってことは意外と知られていない

江戸時代で新しいのだからそれ以前の道は? という疑問が当然起こる。
筑波山の昔の道は、山の斜面を斜めに横切る道で、
今の筑波山口(つくば市沼田)から、飯名神社(つくば市臼井)を通って
西山~神社~東山へ、さらに標高約500mの風返し峠から八郷~笠間に抜ける街道で、
笠間街道とも呼ばれる。

道がまっすぐなほど、時代が新しい、
そしてまっすぐな道は長続きしない、ということを歴史家の網野善彦さんからうかがったことがある。
ただ、聞いただけで。
網野さんの文章でそれに当たる一文を見かけないから
直観のようなものだったと思うが、つくば道を見ると、「なるほど」と思う。

つくば道の一の鳥居の周辺は、江戸時代の筑波山の玄関口。
いまもその面影を見つけることはできる。
さて、ブラタモ気分の見方で、ここで発見できる石造物として以下。

一の鳥居=宝暦9(1759)年に建立された石の鳥居。花崗岩。
かつては、「天地開闢筑波神社」の額がかかっていたといわれる。
「是よ里(り)山上」の碑=ここが俗と神域の境界であることを示す石碑。
また、他の一面に服部嵐雪の句「雪は申さずまづ紫の筑波山」が刻まれている。
嵐雪は芭蕉の門人、十哲のうちのひとり。
嵐雪一派の門人で、龍ケ崎にいた杉野翠兄が建立した。
なぜ俳人が句碑を建立したか?
それは、嬥歌(かがい)の言い伝えなど筑波山が歌と深い縁があるから。
でもこの辺を話すと長くなるので、またの機会に。
ちなみに、石質は花崗岩。

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神域と俗界を隔てる境界であることがこの碑から分かる

金剛蔵王権現の礎石=銅製の像、金剛力士像がここに立っていたことを示す、その足跡。
蔵王権現は、修験道の守り神。
かつて筑波山で修験道が盛んだったことが分かる証拠。
明治維新のときの廃仏毀釈により、金剛蔵王権現像も取り払われ、
いまはその礎石のみが残るのみ。

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ただ、後日談があり、金剛蔵王権現は他の仏像といっしょに、隠され保存されていた。
いまは、東京の護国寺(文京区音羽)で、露坐仏といっしょに安置されております。
それが以下の写真↓

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かつて筑波山一の鳥居にあった金剛蔵王権現像

金剛蔵王権現をはじめ、一の鳥居周辺については、
江戸時代に書かれたガイドブック、『筑波山名跡誌』に詳しく紹介されとおります。
その現代語訳をFBページ「筑波山名所案内」のノートとしてアップしているので
興味のある方はこちらをご一読ください。

②筑波山の岩石を知る! がミソ

さてさて、御座替祭の神輿渡御が行われるつくば道について
ある程度分かったら、次は神輿について神社まで付いていく。
その時にブラリ見るポイント。
それはずばり、岩石!

御座替の神輿渡御は、午後2時過ぎ頃から
一の鳥居で、山頂から小さな神輿で持ってきた神御衣(かんみそ)を
大きな神輿に移し替える神事が執り行われる。
祝詞奏上など一通り神事が済むと、猿田彦を先頭に、神輿渡御が始まる。
紋付き袴の神社の世話役、神官、神輿の担ぎ手など
古式ゆかしい祭装束に身を包んだ行列が続く。
とはいっても、けっっこうな坂道。
ちなみにここの坂道は、かつては石段だったからもっと大変だったと思う。
重量のある大神輿は担ぐだけでも大変。
担ぎ手は、朝早く神社~山頂と巡ってきただけに、
ここからがまさに正念場。休みながら、中腹の拝殿を目指す。

そんな大変な思いをしている神輿渡御を横目に、
周りに目をやると、道の両側の家々の立派な石垣が見える。

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斑れい岩、筑波石の石垣、お見事というほかない

一の鳥居の石造物の多くが、加工しやすい花崗岩だったのに対し、
この石垣のほとんどは固い斑れい岩。
ここで岩石について少し整理してみましょう。

お手元に『筑波山目的別ガイド』のある方は、地球科学のP63を参照ください。
その図はこちら↓
P60目的別・地球科学.pdf110106+ 4

筑波山は、大きくわけて3つの性質の岩からできている。

斑れい岩=山頂付近800mから標高500m付近、深成岩(マグマが地下深くで固まってできた岩)で、固く、黒みがかっている。
ただ固いので細かな細工に適していない。石垣や庭石に使われる。俗にいう筑波石はこれ。
たとえば、筑波山梅林では、筑波石の黒と梅の花の紅白がなんとも通好みの取り合わせ!

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筑波山梅林の斑れい岩

花崗岩=中腹500mから山麓200あたりを形づくっている深成岩で、いまはほとんどが地中に埋まっている。
白っぽく、目が細かいので、細工しやすいが、浸食もされやすい。
風化した細かな花崗岩は砂のようになり「真砂」と呼びます。
主に石碑、鳥居(前述の一の鳥居とか)、墓石に使われるが、
筑波山の周りでも、同じ花崗岩でも呼び方は色々。
たとえば、ちょっと黒っぽい真壁石、
ぬかのように細かい羽黒青糠目など
地域名で呼ばれるほど違いがくっきり。
とくに笠間の稲田で産出される花崗岩、稲田石は肌理が細かく白いことから、
「白御影」ともいわれる。
※厳密に御影石とは兵庫県神戸市東灘区の御影で産出した花崗岩を指していたそうです。

筑波変成岩=地球を覆っているプレートとプレートが重なるところで、
プレート上の堆積物(付加帯物)が削られながら重なり層をなしていく。
その時、大きな力でできた変成岩。
何層にもしましまは、かつての海底の名残。
筑波変成岩のうちでとくに筑波山麓の平沢~山口一帯で産出されるものを
「平沢温石」と呼んでいる(かつては熱で暖めて懐炉のように使っていたらしい)。
平沢温石の表面は黒っぽいが、雲母が含まれているのできらきら輝く。
よく見ると石が何層にも重なっていることから海底だったことが分かる。
そう思うと、なんとなく目の前に浜辺が浮かび、波音まで聞こえてくる。
この岩は層に沿って加工しやすいことから、古代から古墳の石蓋などに利用されてきた。

神輿を担いでいるひとが見たら、
「岩石を見ているなんてのんきな!」と叱られそうだが、
筑波山の岩や石を祭、信仰という観点から見てみると、案外場違いでないことが分かる。
むしろ、それぞれの性質の特徴を感じとって、活かしてきたといえる。

たとえば、固く、時代を経ても変わらない斑れい岩は御神体として崇める対象だった。

固いことから、家の基礎として石垣に利用。
固いので自然の形のままに積み上げていくが、
不定型なものを組み合わせる技術は正直すごいと思う。

同じ深成岩でも花崗岩は、雨風や地中で浸食されることで、
ミネラル分を含んだ良質な水を産む。
日本酒の仕込み水、山麓に広がる水田は花崗岩無くしては語れない。
とくに山麓の水田で採れたお米は、
都内の有名寿司店のご指名だということは地元の方から聞いたことがあるが、
それも花崗岩から産まれた水と土壌のおかげといえる。

そして、筑波変成岩は、おそらくもっとも古い時代から加工されてきた石材で、
たとえば古墳などに使われた石は、時代を経ると掘り出され(少し罰当たりだが)、
小さな沢をまたぐ石橋に使われたり、板碑と呼ばれる石碑に使われてきた。

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筑波変成岩の橋、たぶん古墳の石蓋の再利用かと思います

とくに庚申講、十九夜講、二十三夜講など
村々でお手軽に作れたであろう碑や石像に使われている。
お金はないものの病気やお産のあとのお乳が出ますようになど
当時の名も無きひとびとのすがるような気持ちが伝わってくる。
際立った造形美はないけど、あっこんなとろにも!
と思わず叫ぶほど、結構使われていてほほえましい。

また、かつて東京湾がこのあたりまで広がっていた時代の海底にあった泥は粘土層となり、
それを使って瓦が焼かれた。
ちなみに、つくば道沿いの神郡集落は瓦をいまでも焼いている。
とくに陶器は近世以降は、笠間焼を初めとした陶器がつくられるようになったとか、
筑波山の岩や石をめぐるぶらぶら歩きは実に楽しい。

なんてことを考えながら、ぶらぶら神輿を追っているうちに、
筑波山神社拝殿に神輿は到着する。


やれやれ長い一日が終わったと担ぎ手が安堵するころ、
西に春の陽が傾き始める。

ということで、4月1日、春の1日を有意義に!

(文=野末たく二、結エディット)

ガイド、コースはこちらを参照してください。

『筑波山目的別ガイド』

•Ž†筑波山目的別ガイド

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