「ゲリラ豪雨」を生んだのは誰?

梅雨明け十日というけれど
2015年の夏は、関東地方では7月19日(日)の梅雨明け以降、急な激しい雨に見舞われることが多い(今年もいうべきか?)。

たとえば、つくば市では、7月24日(金)の午後4時の1時間に41.5mmを観測。つくば市の気温は、正午32.1℃だったのが午後4時に24.1℃に下がった。同じ時刻、東隣の土浦市では29.5mmを観測。土浦市の気温は、正午31.8℃が午後4時に25℃に下がった。ただ、つくば市の西隣の下妻市は午後2時に2mm、午後3時に6mmだった。明らかに積乱雲によるごく限られたエリアの局地的な大雨だ。

「梅雨明け十日」と言うように、通常は梅雨後は天気が安定し、晴れの日が続く。
7月24日(金)は、朝の内は30℃を超え真夏日だったが、一転して予想外の激しい雷雨(昼間だれもいなくなる自宅は少しだけ換気のために窓を開けるが、夜帰ったら部屋の窓際がまさかの水浸し!)。
限られた地域に予想できない激しい雨を、「ゲリラ豪雨」と呼ぶが、この使い方は正直抵抗がある。ただ、そう表現しなければ伝わらないという事情も分からないではない。

背後の事情は、地球温暖化による「異常気象」で、予想の範囲を超えた猛烈な雨が一気に襲ってくるという状況が日常茶飯となり、とりあえず身の危険を伝えるのに悠長なことなど言っておられず、神出鬼没の「ゲリラ」という語に頼らざるを得ないというのが背景だろう。

ストーム・チェイサー、青木豊の「ゲリラ豪雨」の見解

弊社、結ブックス『ストーム・チェイサー-夢と嵐を追い求めて』の著者で、写真家の青木豊は、同著のなかで、「ゲリラ豪雨」や「爆弾低気圧」について以下のように書いている。

どちらも正式な気象用語でなはなく、天気予報では使用を控えたり、言い方を換える動きが見られます。特に気象関係者で否定的な意見が見られます。

私は、注意喚起の観点から見れば一定の評価が出来ると思います。

「突発的豪雨」や「急発達する低気圧」ではピンとこないし、イマイチ危機感を感じさせません。ですが「ゲリラ豪雨が来た!」、「爆弾低気圧が来るぞ!」と言えば、老若男女を問わず即時に「まずい!」と感じるはずです。
(『ストーム・チェイサー-夢と嵐を追い求めて』、P115)

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青木豊『ストーム・チェイサー-夢と嵐を追い求めて』

とにかく危険を避けるためには、「ゲリラ豪雨」の使用も致し方ないというのは、常に危険と隣り合わせのストーム・チェイサーならではと思う。
最近のface bookで、青木豊は

ただね、何でもかんでもゲリラゲリラって言うのは反対。意味をよく理解して使わないとね。
7月24日、つくばの中心街を冠水させた雨はまさにゲリラ豪雨。レーダーの表示が間に合わないくらいの急発達ぶりで、自然はいつでも想定外なんだと強く感じた次第。

となんでもありの「ゲリラ豪雨」に、注意を促している。

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流行語大賞で一躍注目の「ゲリラ豪雨」

ちなみに、気象庁では、「ゲリラ豪雨」は使わない。それに近い用語として「局地的大雨」がある。

急に強く降り、数十分の短時間に狭い範囲に数十mm程度の雨量をもたらす雨

のことだ。

たとえば、「○○地域は局地的な大雨が来るでしょう!」というより、「○○地域は、ゲリラ豪雨が来るかも! やばいよ」と言った方が、危機感は増すだろう。

そもそも、ゲリラという言葉にはどんな意味の変遷があるのだろう?

ゲリラという語は、戦争を指して使われてきた。正規の政府軍に対し、非正規の解放軍で戦っている集団、「ゲリラ」だ。

大量の物資、兵員を有する正規軍に対し、少ない人数で、時間や場所に関係なくぱっと出て、相手の肝を抜かせる。そんあ神出鬼没な戦略で戦うのがゲリラだ。

ゲリラ豪雨は、まさに、いつ、どこで、どんなふうに襲ってくるかも知れない予測不可能な雨だから、ひとつのイメージとしては、ゲリラは見事な表現といえる。

ゲリラでぱっと浮かぶのが、キューバ革命軍として戦ったチェ・ゲバラで、いまだに人気は衰えない。
ゲリラ豪雨は、また、規制から解放を意味する一種のかっこよさの意味を内包している。その近いところで、チェ・ゲバラのような激しい生き方を連想させる。

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民間企業の天気予報会社のウェザーニューズ社は、雷が発生しそうな雲を見たら会員が画像といっしょに情報をアップする「ゲリラ雷雨防衛隊」の専用チャンネルを設けている。

ウェザーニューズ社は、2008年のユーキャン新語・流行語大賞のトップ10に入った「ゲリラ豪雨」の受賞者として登場している。

実際のゲリラ豪雨は、2008年7月から8月にかけて、天気予報が予測できなかった局地的な短時間での大雨がとくに都市部を襲い、人的被害も出たことから、テレビが「ゲリラ豪雨」を使ったことで一気に広まったのだが、既に述べたように、背後に地球温暖化による異常気象が常態化がある。

これについてはブログ「気象庁『異常気象レポート2014』が告げるもの」で述べているので、詳しくはご一読を。

危険な雨、インパクトか正しさか?

「ゲリラ豪雨」のゲリラは、もともと戦争と結びついた言葉だけに、危険というイメージは伝えるのにインパクトはあるものの、雨の量、時間、エリアなどを的確に伝える、つまりは科学的かどうかという点で難がある。
インパクトだけを全面に出すあまり、正確さが後退してしまう。とくに、映像メディアでこの傾向が強い。この点が気象庁をはじめ、NHKなど一部マスコミが使わない理由だろう。

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雲の研究者で『雲の中では何が起こっているのか』(ベレ出版)の著者、荒木健太郎は、同著のなかで、「ゲリラ豪雨」は「予報作業に従事していた私にとってこれほど屈辱的な言葉はありません」と述べている。その理由は研究者としての矜持(きょうじ)として以下のように述べている。

もともとゲリラ豪雨という言葉は、現代のように観測網が充実していなかった1970年代にリアルタイムでの観測が難しい豪雨という意味で使われはじめました。レーダーや地上での観測網が発達してきた現代では、予測の難しい豪雨という意味合いに変わってきています。しかし、気象情報で雨が降ることをよびかけているにもかかわらず、それを見ていない人にとって突然降ってきた雨がゲリラ豪雨とよばれることが多いようです。声を大にして言っておきますが、予測できている豪雨はゲリラ豪雨ではありません!
(『雲の中では何が起こっているのか』P233~234)

ではと、いまさらながら気になるのが、気象庁が使っている「気象用語」の定義だ。

毎朝、毎晩、テレビやラジオで天気予報を見たり、聞いたりしているひとは、気象用語を1日何回も見、聞いているはずなのだが、その定義となると私も含め、意外と確認してない。念のため確認!

気象庁のホームページによれば、気象用語は「誰にでも正確に伝わるよう」以下の4点を基本方針としているという。

1 「明確さ」
2 「平易さ」
3 「聞き取りやすさ」
4 「時代への適応」

用語は、気象庁が発表する各種の予報、注意報、警報などに用いる「予報用語」。そして、気象庁が発表する報道発表資料、予報解説資料などに用いる「解説用語」などがある。

たとえば、「ゲリラ豪雨」とほぼ同義の「局地的大雨」は、「予報用語」。一方、「著しい災害が発生した顕著な大雨現象」の意味で使われる「集中豪雨」は、「解説用語」という具合だ。

ちなみに、1時間あたりの雨量で強度を言い表した予報用語として以下のようなものがある(時間あたり30mm~)。

強い雨=1時間に20mm以上30mm未満の雨。
激しい雨=1時間に30mm以上50mm未満の雨。
非常に激しい雨 =1時間に50mm以上80mm未満の雨。
猛烈な雨=1時間に80mm以上の雨

どうだろう? 文字として読むと理解できるが、これを声で聞くと、「強い雨」と「激しい雨」のどっちが大変なのか、一瞬で区別つくだろうか?
また、なぜ80mmより上、具体的には100mm以上の雨の強さを表現する規定がないのだろう?

おそらく(これは想像だが)、このランクを決めた時は、1時間あたり100mm以上の雨は想定できなかったのではないだろうか? しかし、1時間あたり100mm超えの雨は、もはや珍しくなくなってしまった。

たとえば、2014年8月19日から20日かけて広島市で降った雨は、三入という気象庁の観測地点の局所的なごく狭い範囲で1時間あたり101mm(8月20日午前4時)を超えた。これは、想像を超える「異常な」状態なのだが、もはや全国どこででも、条件が重なれば、起こりうる可能性があり、もはや日本列島の気象現象の「常態」とも言える。

広島地方気象台による2014年8月20日14時現在の気象速報。 積乱雲がビルが立ち並ぶように次から次へと湧くバックビルディング型の集中豪雨と分析されえいる。

広島地方気象台による2014年8月20日14時現在の気象速報。
積乱雲がビルが立ち並ぶように次から次へと湧くバックビルディング型の集中豪雨と分析されえいる。

三入(広島市安佐北区)のアメダス時系列グラフ(降水量)期間:8月19日11時~20日9時。2日午前3~4時は101mmを超えた。

三入(広島市安佐北区)のアメダス時系列グラフ(降水量)期間:8月19日11時~20日9時。2日午前3~4時は101mmを超えた。

空を見上げて、「ゲリラ」豪雨の主体を見極めよう

個人的に「ゲリラ豪雨」という言葉を選んだセンスが好きでない。できれば使わない方がいいと考えている。

それは、これまで述べた、ストーム・チェイサーの青木豊や、雲の研究者の荒木健太郎とも違った意味で。

1時間100mmを超える「異常」な雨の要因は、地球温暖化にあるだろう。地球温暖化は、氷期→間氷期などの自然の節理として避けられないものでなく、産業革命以降の人間の近代化、開発行為や経済活動に起因し、人間の経済行為のあり方や価値観を見直すことで、修正可能だ。

予測不可能な(荒木は予測可能としているが)局地的大雨の原因を作っているのは人間の側だ。それを見ぬふりをして、あたかもゲリラという第三者的な意志を持った何かが襲ってくるかのような表現は、だれかに責任転嫁しているように思えてならない。本当は犯人は自分なのに、現実を直視しようとせず、壁に映った影を犯人よばわりしているようで、根本的に違っている、と考える。

ゲリラと呼んでいる雨を作り出しているのは、いまを生きるひとりひとりだ。
では、替わりになんと表現するか? 「とんでも豪雨」、「人間滅亡的急襲豪雨」……?
なんかぴんとこない。

現実として他に見あたらない以上、いやだけど、まあ「ゲリラ豪雨」で仕方ないか、というのが目下の妥協点だが、青木豊が『ストーム・チェイサー』の4章でいわば結論としているのが「空を見上げよう」だ。そこにヒントがある。
「ゲリラ豪雨」を他人事と思わず、いまを生きる時代の人間が自ら招いた地球に対する負い目として空を見上げ、その行方を見守る。それが「ゲリラ」の主体を見出すもっとも重要で、だれにでもできる行いなのだと思う。

文=野末たく二(結エディット)

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